宮廷酒であった泡盛だけに庶民の口に入るものではありませんでした。一般の人々や離島の人々はもっぱら米の口嚙み酒(波照間島では昭和12 年ごろまで造られていたといわれています)や、雑穀酒を造り飲んでいました。1605 年、琉球にサツマイモが到来した後は芋焼酎も造られ飲まれていたのです。

1899(明治32)年には自家製酒が禁止され、民間穀物酒の伝統は潰えてしまい、現在のように泡盛だけを製造するメーカーだけが残りました。ちなみに民間で造られていた芋焼酎には中国系の餅麹が使用されていたという記録も残っています。